私の母は、高校2年の時まで大金持ちの娘だったそうだ。
なんでも、母方の祖父が、北海道で2番目の高額納税者だったこともあるという。
戦後、物のない時代であったにもかかわらず、中学、高校と私立に通っていた。
みんなが回し読みしている少女雑誌も毎回買っていた。
服も着物も高価できれいなものをいつも身につけていた。
だが、お金があったからといっても、幸せではなかったようだ。
母が生まれてすぐに両親は離婚。
大きくなるまでよその家へ里子に出されて育ったらしい。
そして、戻ったときには意地悪な継母と義理の妹たちがいた。

母は思った。

よその家はお金もないのに、いつも家族にこにこ笑っていて幸せそう。
私がこんなに不幸なのは、
きっと、お金があるからだ。

貧乏になりたい!と、母は心から強く強く思ったのだった。

それから程なく、母の貧乏になりたい夢はどんどん叶っていった。
大金持ちだった祖父(母の父)は、不運が重なり全財産が水の泡となった。
その後、後妻にも見捨てられた祖父は病魔におかされ亡くなってしまう。

それから母の望み通り
平凡な名字の、平凡なサラリーマンと結婚することになった。
会社員ではあったが、もちろん家が「貧乏」だという条件はクリアしていたようだ。
だが、娘の私から見ても妻としての母は、どうみても幸せそうではなかった。
給料は平均以上もらっていたはずなのに、父は家族を顧みず、酒や女にその金を使っていたからだ。

母が結婚したとき父からアコヤ真珠の指輪、ネックレス、イヤリングの3点セットを記念にもらったそうだ。
安物だが、父からもらった最初で最後のジュエリー。
小さなアコヤ真珠が、薄っぺらく変形した金のリングにしがみつくようにくっついている。
母はその真珠の指輪をいつも指にはめていた。
台所仕事をするときも、買い物に行くときも、内職をするときも。
私が二十歳のとき、気が付いたら真珠層が剥がれぼろぼろで、真珠としての価値はゼロになっていた。
真珠は水に弱いので、絶対に水仕事の時にはめてはいけないのを知らなかったようだ。

母は、今も健在だ。そして、愚痴をこぼしながら今も貧乏な父と一緒に暮らしている。

私は母から、夢は強く願えば必ず叶うものだということを教わったのだった。

by はぎ妻(今日は、はぎちゃんがボクシングの用事のため、はぎ妻特集でした〜^^;)