みなさんこんにちわ〜、はぎ妻です
今日は13年前に阪神大震災があった日ですね。
私達夫婦もそのとき神戸の東灘区に住んでいて
当時のマンションは半壊でした。
上の写真は震災当日の我が家の台所です。
冷蔵庫は上を向いて倒れていて、食器棚もめちゃくちゃ、
窓ガラスは割れる、壁は×の字にヒビが入っていました。
震度7の地域でしたが、おかげさまで怪我もなく無事でした。
でもご近所では多くの犠牲者がおられました。
あの震災で傷ついた神戸という街がとても愛おしくなりました。
あの震災で自分の価値観が大きく変わりました。
あれから13年、
神戸の街はすっかり復興した様相ですが、
あの震災を覚えている多くの方々は、震災を思い出す度に辛く悲しい気持ちになることは変わらないことでしょう。
もう二度と、あのような悲惨な震災が起こらないよう願うと同時に、
最後になりましたが震災の犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
うちも リビングは ぐちゃぐちゃで
食器は ほぼ全滅
グラスやらの割れたものがいっぱいで
どうしましょう〜状態!!
思い出しただけでも ぞっとします!
あれから 13年もたつの??
ついこの前。。。って気がします。。
うちでも あんなにひどく。。って思ったけど
神戸は もっとだったんですものね。。
今 こうして 元気でいられることに 感謝しないといけませんね〜〜
quuちゃん
quuちゃんのお宅は神戸から遠くなかったですか?
なのに食器が全滅って、すごい被害ですね〜〜
ほんとに生きていられるのって感謝ですね
こんばんは
私の妻も被災地域出身ですので実際その地域に住む方の記事は実感がありますね。
なので最低でも被災地域の方の記事はじっくり読ませていただいています。
私は大阪市に住んでいました。出張でその日は神戸に行く予定で…。
電車に乗って震災があればやばいところでした。
はぎ妻さん
写真で見ると改めて息をのみますね。これだけの被害でよくお怪我もなくご無事で…。
私は当時海外にいて、TVのニュースで知りました。翌日地元紙の一面に倒壊した
神戸の写真が載り、まるで空襲でも受けたかのようなその姿に愕然としました。
この日が来る度、その時見た神戸が思い浮かばれて、亡くなった人の分まで
頑張って生きなくては、と思います。
こんにちは。
私は当時、京都にいました。
朝起きて、TVを観て、愕然とした記憶があります。
備えは必要ですね。
下のまるちゃんコニちゃんのぴったりくっついた写真、
ウチの姉妹を見るようです。
おすなさん
おすなさんの奥様も被災地ご出身ですか?
自然の脅威を防ぐことは不可能ですが、
自然災害が起こった時に人間がどう対処すれば良いのか、
それは過去の震災の被害状況等が大きな教訓になることでしょう。
あの震災でいろいろ学ばさせていただきましたね。
電車に乗っている時に震災にあったら…
考えただけでもぞっとしますね。
ご無事で何よりです
ヒカリさん
あの震災の時に海外におられた方々は
かなり驚かれたと聞きました。
私の海外の友人達も、震災直後ずっと電話をくれたらしく
つながらないからもうダメだとみんな思っていたそうです。
それは関東の友人達も同じことを言っていましたが。
ほんとうにね、
生きているのって偶然じゃないのですね。
震災の記憶を思い起こすと「生かされている」と実感します。
のんたさん
京都の方にいらしたのですか。
あちらはあまり揺れなかったから幸いでしたね
まるコニがのんたさんのところのメープルちゃん姉妹に似てますか?
ありがとうございます!
そんなにかわいいですか
嬉しいです
きのう、ひー太と招待したかったみたい。
でも、Mieさんが診断が留守する?
凸妻どん
ゲッ〜〜〜〜〜ッ!!凄いやんケP”
ワイの犬小屋は、ここまでえげつなくなかったの〜。
まるどん、コニどんは、こん時おらなんだんケ?
本当にご無事でなによりでしたね。
私の義妹が神戸出身です。
2日前にご挨拶に伺ったばかりでした。
毎年、この時期になるとニュースなどを見て心が痛くなります。
生かされてる今に感謝しつつ毎日を過ごさないと…と思います。
きんちゃん
きんちゃんはひー太が好きやね〜
でもMieさんって誰??
私たちのしらないところで交流してるの?
ゲールどん
そりゃ、大阪の方はあまり揺れなかったでしょうからね
このときはまるちゃん、コニちゃんはいませんでしたが、
かわりにセキセイインコのガンタとごましんがいました
鳥かごはぐちゃぐちゃでタンスとかの奥にあったので
「つぶれてる!」と思いましたが、
下の方にうずくまっていて2羽とも無事でした
まるちゃんコニちゃんは普通のインコより気が弱いので
地震があったらショック死するかも!?
うさこさん
ほんとに毎年毎年この季節になると思い起こされますね〜
生かされている喜び…
こんな災害が身近になかったら
感じることも無かったでしょうね。
感謝しなければね。
うちのイトコも西宮に住んでて・・・。
家は潰れちゃったけど、なんとか助かってて連絡ついた時はすんごい安心したな〜。
そのイトコ兄弟のうちの1人がフランスに住んでるから全く知らなくて、他のフランス在住日本人から聞いて『電話がつながらない〜!!』って半泣きになりながら連絡きたっけ・・・。
今でも出掛けて留守にしている時になんかあったら・・・・・うちの子達がどうなるか・・・・心配になるときある〜
やっぱくくってカゴは安定させるべきかなぁ〜???
musaさん
そうそう!遠方に住んでいる人や外国の友人達は情報が限られているだけにものすごく心配していた。
でも、こういうときに遅くなっても連絡くれる人は本当に友達だなあ〜って思ったけど、なんの連絡もくれない人は「それなり」だったんだなって友情テイスターのような感じで思いました
カゴはくくらない方がいいと思いますよ。
だって他からタンスとか飛んで来たら固定されているカゴに当たれば衝撃はすごいですが、固定されていなければ当たってもどこかに飛んで行くからつぶれないかもしれないでしょ?
地震対策として、カゴの固定よりも、カゴと同じ部屋にタンスとか飛んで来るものがないようにしたほうが安心だと思います。
私はそのときすでに、実家をでて
大阪で独り暮らしをしていたんですが、
あの日、三連休でしたよね・・
三姉妹、みんな実家に帰っていて、
嫁にいっていた次女も、
翌日までスキーにいっていた三女も
ちょうど帰っていて、全員集合して被災しました
それは、幸せだったのかもしれません。
私1人大阪にいたら心配で気が狂っていたことでしょう。
うちも家自体は、崩壊しませんでしたが、
たーいへんでしたよ。東灘区ですから。。
私も久しぶりに実家に帰ったものですから、
一階でねようかな〜とか言っていたのですが、
もし、そこで寝ていたら、大型テレビの下敷きになって
今は、生きていなかったです・・・
ほんの偶然で生きている自分です。
当時は、なにが起こったのかよくわからないまま、
もりあがった地面や傾いた電信柱を不思議な気持ちで
眺めていました。
動くはずのない地面がうごき、倒れるはずのない電信柱が倒れてる。
価値観が変わっても当たり前。。。
そんなことをいつもまだまだ思い出します。
風化しがちなこういうできごと。
被災した本人でさえ、どこか忘れたい気持ちがあって、
だめですね。
でも他での震災の記事とかみると、
とてもイタイですね。
自然の起こすことだけに、誰もせめられません。
ながくなりました。すみません。
遅ればせながらコメントさせていただきます。
あの日私の住んでた大阪市中心部は全くと言ってよいほど被害が無く、いつもどおりに仕事に出かけ、いつもどおりの仕事をこなしました。テレビで被害の甚大さが徐々に伝えられて「えー!」っと思うも、やっぱり普段と変わらぬ1日でした。
たった4〜50km離れた所では悲しみと絶望のどん底に突き落とされた人々が大勢いたのに・・・・。
ごめんなさい。
カオリさん
コメント本当にありがとうございます。
当時は東灘のご実家にいらっしゃったのですね。
私達と同じ区内で被災されたとは…。
でも当時ご家族のみなさんが揃って無傷だったというのは
なにか偶然というよりも「必然性」を感じてしまいますね。
あの震災のときにご家族一緒だったというのは本当に何よりです。
離ればなれで被災されていたら、たとえ数分でも心配で気が気ではなかったことでしょう。
被災した私達、なにかとても大切なことを教えられたんだと
あらためて思わされています。
生かされた命、お互い一日一日を大切に生きて行きましょう。
純米酒さん
コメントありがとうございます。
ごめんなさいだなんて…。
純米酒さんは何も謝まられる必要はないですよ
阪神大震災じゃなくても、この世の中には今このときに遠いところで
いろんな悲惨なことや惨いことがたくさん起こっているのだと思います。
それを自分のことのようにいつも感じられるのはかなり難しいことです。
たった数十キロ離れているだけなのに大阪はほとんど被害がなかったのは不思議なような気もしますが、
大阪が普通の状態だったおかげで、私達神戸の市民は震災後買い出しに行けたり、お水をいただいたり、銭湯に入りに行かせて頂いたりしました。
あの震災で関西の都市全部が壊滅していたら…
きっともっともっと大変だったことでしょう。
あのときは大阪のみなさんには大変お世話になりました。
本当にありがとうございました