はぎ妻です
昨日は阪神大震災からちょうど15周年でした。
毎年、この季節にはあの恐かった地震のことを書いているので
長くうちのブログを見てくださっている方は
もうご存知だと思いますが、
はぎ家も神戸市東灘区で当時被災しました。
明け方、ゴジラが叫びながら街を踏みつぶす夢とともに
寝ていた私の体に、今まで到底感じた事のない衝撃が走りました。
マンションがこんなに揺れるなんて!?
縦にも横にも、まるで巨人がうちのマンションをシェイクしているみたいに
大きくめちゃくちゃに揺れました。
「死というのは、こうやって突然やってくるものなのだな…」
と、走馬灯のように頭の中に今までの人生のダイジェスト版が流れていました。
20分、位に思えたのに…、
後から聞いたら地震の揺れは20秒位だったらしいです。
20秒の間に、あんなにいろんなことを思い起こせるとは…
不思議です。
揺れが収まると、冷蔵庫が入り口を上に向けて倒れていたり、
壁やガラスが割れていたりと、めちゃくちゃな状態だったのですけど、
幸いにも私達は何の怪我もありませんでした!
…が!
当時飼っていたセキセイインコの2羽…。
夜に置いていた部屋にはタンスや本棚などが一杯で、
地震の揺れのために、その全てがめちゃくちゃに倒れ重なり合っていて一歩もインコのいる部屋に入れなかったのです
時刻は午前6時前。
外は真っ暗、当然電気もつかないのです。
暗闇の中、インコの名前を呼んでも鳴き声や気配も感じられなかった…。
「だめかもしれない…」
こんなことで死なすなんて…嫌だ…!
一挙に悲しみと不安に包まれたのですが、
暗闇にはなす術がなかったのです。
…やっと外が明るくなってから、
はぎちゃんがインコの救出に入って行きました。
あれからだいぶ時間が経っているのに
なんの気配もしない…。
今更ながら背の高い本棚の横にケージを置いて寝ていたことを悔やみました。
半ば、あきらめていたのですが、
ぐちゃぐちゃにつぶされたケージの底のプラスチックの部分に
インコたちはジッと身動きひとつせずに固まっていたのです
そのときのケージの写真です
よかったぁ〜
壊れてしまったケージの代わりに
プラスチックの衣装ケースへ2羽のインコを入れました。
余程恐かったのか、午後になるまで一言も鳴き声をあげませんでしたよ。
地震の当日は、パジャマ姿でうさぎやネコをケージに入れて
道で呆然としている方々をたくさんお見かけしました。
やっぱり、ペットは大事な家族なのですね。
周りのたくさんのお宅では人間だけじゃなくて
たくさんのペットたちも被災したようです…
自分は助かったのにペットは…
という話も伺いました。
あんなにも、たくさんの死が身近にあるような経験は
今後ないかもしれません。
本当に地獄のようでした。
地震等、天災は防ぐ事は難しいですが、
もう二度と経験したくないですね。
阪神大震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
阪神大震災やスマトラ沖大地震、今回のハイチの地震等があると、考えさせられます。
昨日まで元気だった人を目の前で亡くしてしまう悲しみは、計り知れません。
私も、もしもの時にどうやってペットを守ればいいのか心配です。
ジッと私の側にいてくれるわけじゃないですもんね。
インコ達、ジッと我慢してくれてて良かったですね〜
よっぽど怖かったんでしょうね・・・
うちの猫はきっとパニックを起こしてしまって、私の言うことなんて聞いてくれないだろうし、ケージにも入ってくれないだろうな〜・・・
マナオさん
ほんとうに生と死の境目って、
案外薄いものなのかなと時折感じたりしています。
そんなに薄いものなのにも関わらず、
身近な人が亡くなると、
とても寂しく悲しく、いたたまれない気持ちになってしまいますね。
そうでしたね〜
マナオさんはネコちゃんと一緒に暮らしていらっしゃるのですね
地震が来たら大切なペットがどうなるか??
とても心配ですが、
ネコちゃんは人間より危険を察知する能力が高そうですから、
きっとタンスが倒れて来てもすり抜けられますよ!
ですが、避難所に連れて行かなければならないとき、ケージに入ってくれなさそうですから
それが心配ですね〜
それよりも、
そんな災害に遭わないよう
心からお祈りしております!!
インコちゃんのゲージを見て、地震の凄まじさを改めて感じました。
今、私が被災したら、インコ達はどうなるだろう?と考えると、
ゾッとします。13羽もどうして助け出したらいいのだろう…?
東灘区、とても被害が大きい場所でしたよね。
主人も東灘なんですが、もし旅行に行ってなかったら、
家具の下敷きだったそうです。本当に運が良かったとしか言えませんね。
私も(震災後からですが)現在は東灘です。地震直後の映像を見ると
よくここまで復興したなぁと思います。
自然の脅威の前で、人間なんてちっぽけですが、命を大切に、
精一杯生きて行きたいですね。そう思う今日この頃です
minnさん
そうでしたか。
ご主人も東灘だったんですね〜
うちは魚崎北町の甲南大通り商店街の東側にマンションがありました。
運っていいますが、「運命」ともいえるかもしれませんよね?
特にご主人は「もし旅行に行ってなかったら?」
って想像するとぞっとしますね
ほんと、一日一日を大切に楽しく生きて行きたいものですね。
こちらこそ、いつもはぎちゃん、はぎ妻さんブログに元気を頂いております
はぎちゃんさんもはぎ妻さんも、良いこというてるなぁと思ってみてます
何度か福建会館の前までいったことはあるのですが、突然、いってもおかしいし、私なんかが出入りするような場ではないのかもといつも断念してしまうのです
Ayakoさん
>はぎちゃんさんもはぎ妻さんも、良いこというてるなぁと思ってみてます
あはは
すみません〜!偉そうなことばかり勝手に書き逃げしてる感じかもしれません。
実際は全然人格者じゃないので、会ったら失望されそうです…
>何度か福建会館の前までいったことはあるのですが、突然、いってもおかしいし、
そうですね〜
もしも来られる時にはメールかお電話でお知らせいただけたら助かります
商談中だったり、立て込んでいたりする場合もあるので…。
ちなみにメールはハギノパールアンドジェムHPのメールフォームから送信できま〜す
よろしくです
はぎ妻さん〜 こんばんは
はぎ妻さんも震災にあわれたのですね…
怖い思いをされたことでしょう!
あの日の事… 忘れることができません!!
また! 忘れてならない事ですね…
私〜 “未明の悪夢„(阪神淡路大震災)って本を読んだのですが
私が想像してた以上に被災された人達の苦しくて辛い…
身近な人… 大切な人を亡くしテント村での生活…
自然の災害とはいえ地獄のような日々を送られて…
あれから15年…
生きたくても生きられなかった人達の事を思うと
今 生きている私達がその人達の分まで
頑張って生きなければと思っています
ぐちゃぐちゃのケージ。。。
リアルな写真、衝撃です。
インコちゃんたちは助かったんですね。
すごいです。
当時私はアメリカに住んでいて、
飲み屋でニュース見ながら
「冗談じゃろー」って笑ってました。
もう15年なんですね。
思い出すのもお辛いでしょうに、
貴重なお話ありがとうございました。
cocoaさん
こんにちわ!
被災者といっても、私達は無傷で
半壊だけど家にも戻れたし、
多くの被災者の中では大変恵まれていたと思います。
ただ、地震の後の数ヶ月間は辛かったです!
余震もしょっちゅうあったし、
はぎちゃんは地方に営業に行きっぱなしで、
私は夜も眠れない日々が続きました。
大した被害ではなかったけど、
やはりしばらくは普通の精神状態にはなれませんでしたね〜
>生きたくても生きられなかった人達の事を思うと
そうですね。
「生かされている」ことを忘れずに生きて行きたいです!
文句ばかりの毎日に反省!です…
Ramonaさん
私の記憶違いで、はぎちゃんに言わせると
あのときのセキセイインコの数は2羽→3羽だそうです
だから、ケージが2つなんですよ。
写真の右側の白っぽいのが2つ目らしいです。
よく無傷で助かりましたよね〜?
その中の1羽は、この後もずっと10年生きて
15歳という長寿を全うしたのですよ
>飲み屋でニュース見ながら
>「冗談じゃろー」って笑ってました。
外国にいらした方は、あれが日本だってにわかに信じられなかったという話を他所でも聞きました。
そりゃそうですよね?
私達だって、夜が明けて、
周りの家がぺったんこになっていたり、
近所の高速道路がひっくり返っていたり…
現実だとは思えず、しばらくは映画を見ているような実感の無い状態でしたから
でも、日本は地震が多い国なので、
やはりこの体験は今後のためにも風化させてはいけないと思うので、
少しでも記録に残して行きたいと思います。